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ワイ島 ヒロ海岸

四季  長谷川 櫂

 2018・8・22

  ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ

  われらの恋が流れる

        ギィヨーム・アポリネール

  アポリネールはローマ生まれのポーランド人の詩人。

  十九歳でパリ移住、二十世紀初頭の芸術の街に生きた。

  「ミラボー橋」の最初のフレーズ。

  第一次大戦終結直前、スペイン風邪で病死。三十八歳。

  堀口大学訳詩集『月下の一群』から。

 2018・8・21

  二階から落ちても平気で地を這える

  蟻の強さにたじろぐわれは

          鈴木陽美

  人間なら怪我ではすまないかもしれない。

  ところが、蟻はまた歩きはじめるだろう。

  何もなかったかのように。

  当たり前のことなのだが、

  当たり前とされていることに潜む

  不思議に驚いているのだ。

  歌集『スピーチ・バルーン』から。

 2018・8・20

  すずしさや惣身わするる水の音

          青緻(せいち)

  せせらぎだろうか、滝だろうか。

  水音を聞きながら、しばし暑さを忘れている。

  自分の体を忘れるほど、

  いいかえると体が存在しないかのように

  涼しいというのだ。

  たしかに体がなければ涼しかろう、

  人も犬猫も。

  『青緻発句集』から。

 2018・8・19

  秋立つは水にかも似る

  洗はれて

  思ひことごと新しくなる

          石川啄木

  暑い夏を乗り越えて爽やかな秋に入る

  誰でもほっとするが、

  炎熱はなはだしい今年はなおさら。

  啄木のこの歌の味わいもひとしおだろう。

  秋というきれいな水に洗われて、

  人の心も新しい出発をする。

  歌集『一握の砂』から。

 2018・8・18

  (或はネリリし キルルし ハララしているか)

  しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする

           谷川俊太郎

  ネリリ、キルル、ハララ。

  地球の日本語の眠る、起きる、働くに相当する火星語。

  そんなおかしな言葉を話す火星人がじっさいに

  存在すれば、地球人の宇宙的な孤独も少しは

  癒されるだろうか。

  詩集『二十億光年の孤独』の同題の詩から。

 2018/8/17

  手を翻せば雲と作り

  手を覆せば雨

           杜甫

  杜甫の「貧交行」の書き出し。

  掌を上にすれば雲が湧き、

  下にすれば雨が降る。

  そんな薄情者が幅をきかせ、

  昔の篤い友情は顧みられない。

  いつの時代でも過去は麗しく、

  現在は堕落しているとみえるらしい。

  「杜甫全詩訳注一」から。

 2018/8/16

  契りけむ心ぞつらきたなばたの

  年にひとたび逢ふは逢ふかは

           藤原興風

  織姫よ、なんてつれないんだ。

  一年に一度だけ逢いますだなんて、

  そんなの逢うとはいえないよ。

  私「彦星」は毎晩でも逢いたいのに。

  宮中のある歌合に出した歌という。

  読み上げたとたん、一同笑いに包まれたろう。

  「古今和歌集」から。

 2018/8/15

  アジアでは星も恋する天の川

           丸谷才一

  七夕伝説は星の恋の物語。

  古代中国で生まれ、日本をはじめ東アジアに広まった。

  そんな話はヨーロッパでもアメリカでも

  聞かないなあというのだ。

  人ばかりか星までも恋をする多神教のアジアを誇る一句。

  句集「七十句/八十八句」から。

 2018/8/14

  もう一人自分の居りし籐枕

           松下道臣

  自分とは誰か。

  誰でも自分が自分だと思っている。

  では自分を眺めている自分はいったい誰か。

  それこそほんとうの自分ではないのか。

  この句、昼寝のあと、どこかへ立ち去った

  もう一人の自分を自分が眺めている。

  句集「憤怒」から。

 

 2018/8/12

  日盛の岩よりしぼる清水哉

           常牧

  太陽がかんかんと照りつける岩から

  湧き水が滴り落ちる。

  一瞬、涼風がよぎったような感じのする句だが、

  何よりもめざましいのは「しぼる」。

  水の清らかさも、ありがたさも

  この一語から生まれる。

  芭蕉の同時代人。

  俳諧選集「物見事」から。

 2018/8/11

  八月六日ののちの七十二年目を

  母に替はりて吾がすわる椅子

           伊東文

  作者の両親の故郷が広島。

  あの日、母親が原子爆弾被爆した。

  五十歳を過ぎてから短歌をはじめ、

  母が生きているうちに読んでもらおうと

  歌集を編みはじめた。

  母から娘へ、命とともに何かが伝えられてゆく。

  歌集「逆光の鳥」から。

 2018/8/10

  月光を浴びし三人時止まれ

           小林凛

  人はなぜ時間を止めたいと思うのか。

  「今」がやがて崩れてしまうことを予感しているからだろう。

  守る人が去り、守られていた自分が今度は守る人になる。

  この句、祖父が亡くなって母、祖母と三人になった月見の句。

  「生きる」から。

 2018/8/9

  百歳は僕の十倍天高し

           小林凛

  日野原重明は二〇一七年夏、百五歳で亡くなった。

  小林との交流はいつはじまったのか。

  いじめられて孤立した少年を長い人生の大先輩が見守る。

  「僕の十倍」なんて、小林が素直にはじゃいでいる。

  『ランドセル俳人からの「卒業」』から。

 2018/8/8

  老犬の足音秋を告げにけり

          小林凛

  年をとった犬がとぼとぼと家の中を歩く音。

  小林が二歳のとき、母親が拾ってきて、

  おばさんの家で育てられた。

  やがて小林の親友になる。

  小林が中学一年の秋、旅立つ。

  その名はアベル、兄カインに殺される弟。

  『生きる』から。

 2018・8・7

  黒板の似顔絵笑う炎暑かな

         小林凛

  高校の夏休み前の昼休み。

  黒板に男の子が歯を見せて笑っている似顔絵を見つけた。

  「どこかで見たような顔」と本には書いてある。

  それはクラスメートの誰かが描いた

  小林の似顔絵だったにちがいないと私には思える。

  『生きる』から。

 2017・8・6

  形なし音なしけれど原爆忌

         小林凛

  放射能には目に見える形も、

  耳に聞こえる音もない。

  だからこそ恐ろしいのだ。

  一発の原子爆弾がこの日の朝、

  広島の町を廃墟にし、

  たくさんの命を奪った。

  その後も多くの人々を苦しめている。

  『ランドセル俳人からの「卒業」』から。

 2018・8・5

  おお蟻よお前らの国いじめなし

         小林凛

  学校でいじめられて

  土手でタンポポを摘んでいると、

  蟻の行列を見つけた。

  みな助け合って働いている。

  倒れた蟻は仲間が運んでゆく。

  しゃがみこんで見つめるうちに

  涙があふれてきたにちがいない。

  『ランドセル俳人からの「卒業」』から。

 2018・8・4

  さすらいの守宮野原ですれ違う

         小林凛

  雀、蝸牛、蟻、蜘蛛、蛙。

  小林の俳句には小動物がしばしば登場する。

  仲間はずれにされ、いじめられる自分の分身である。

  この守宮もなぜ、さすらっているのか。

  どこにも居場所がないのだ。

  『ランドセル俳人からの「卒業」』から。

 2018・8・3

  祖母背負い

  押しつぶされし啄木忌

         小林凛

  「たはむれに母を背負ひてそのあまり

  軽きに泣きて三歩あゆまず」石川啄木

  この歌にならって、

  おばあちゃんを背負ってみたのだ。

  ところが歌のとおりにゆかず、

  重くてへたりこんでしまった。

  啄木忌は四月一三日。

  『生きる』から。

 2018・8・2

  踏み出せばまた新しき風薫る

         小林凛

  先生はしばしば、いじめを直視せず、

  いじめる側に回ってしまう。

  ある日、不登校の小林少年を

  一人の先生が訪ねて話を聴く。

  それが「先生のような人になりたい」という

  希望を目覚めさせる。

  『サンドセル俳人からの「卒業」』から。

 2018・8・1

  迷い来て

  野鳥も授業受ける夏

         小林凛

  九四四㌘の未熟児。

  小学校入学前から俳句を作りつづけて

  高校二年生になった。

  少年は学校での壮絶ないじめをどう乗り越えたか。

  新著から十句を紹介する。

  この句、迷い込んだ小鳥への温かな共感。

  『ランドセル俳人からの「卒業」』から。

 2018・7・31

  須臾(しゅゆ)にして我等は入る、

  冷さと闇に、さらば、

  生きて輝きて去る夏の光よ。

         シャルル・ボードレール

  夏から秋へ、一瞬にして季節は移る。

  ボードレールの「秋の歌」の最初の二行。

  同じように人生も夏から秋へ、

  さらに冬へめぐってゆく。

  「ならば・・・夏の光よ」は

  人生の輝かしい夏を惜しむ言葉。

  吉田健一の訳詩集『葡萄酒の色』から。

 2018・7・30

  暗くなるまで夕焼を見てゐたり

         仁平勝

  刻々と変わる夕焼けの空。

  太陽が西の空に傾くと、あたりが黄金に染まり、

  赤々と燃え上がり、やがて闇に沈んでゆく。

  その一部始終も見飽きないが、

  夜に包まれるまで眺め尽くす人の意思に

  思い及ぶべきだろうか。

  自解句集『仁平勝』から。

 2018・7・29

  タオルケットを蹴り上げしとき

  立ちたるは

  バケツ一杯がほどの秋風

         西川才象

  古歌にもあるとおり、

  秋はまず風となって訪れる。

  百日紅さるすべり)の花を揺らしたり

  本のページをめくったり。

  秋風の姿形はさまざまなのだが、

  ここではバケツの水を放るように

  空中に跳ね上がった。

  朝起きるときか昼寝か。

  歌集『晩冬早春』から。

 2018・7・28

  対酌といふも久々新生姜

         西村和子

  対酌は二人で酒を酌み交わすこと。

  李白に「両者対酌すれば山花開く

  一盃一盃復一盃」という詩があった。

  古い仲とはいえ久々に眺める友の顔が

  「新生姜」にぴったり。

  古生姜、ひね生姜ではダメなのだ。

  俳句日記『自由切符』から。

 2018・7・27

  虹の環を以て地上のものかこむ

         山口誓子

  土星には輪がある。

  地球にもあれと同じような輪があったなら、

  毎日どんなに愉快だろう。

  それは人類の思想をどう変えていただろう。

  雨上がりの空に現れる虹は、

  地球の失われた輪の断片?

  それとも未来の予兆?

  句集『和服』から。

 2018・7・26

  あたためしミルクがあまし

  いづくにか最後の朝餉食む人もゐむ

         大西民子

  ある日、人は死ぬ。しかし、その朝の食事を

  「最後の朝餉」と知る人はほとんどいない。

  この作者も「最後の朝餉」を食べているのが

  誰か知らない。

  もしかすると自分自身、温めたミルクが

  そうなるかもしれない。

  歌集『花溢れゐき』から。

 2018・7・25

  寝ても寝ても目さむる夏の青み哉

         団水

  「夏の青み」とは夏全体が青々としているのだ。

  「木々の青み」「山の青み」では太刀打ちできない。

  昼寝とする説もあるが、素直に夜の句だろう。

  団水は西鶴の門下、浮世草紙も書いた。

  俳諧人名録・作法書『京羽二重』から。

 2018・7・24

  なにせうぞ燻んで一期は夢よただ狂へ